障害児を育てるには体力がいる
うちの娘は体の“発達”は遅い割に、“発育”はほぼ正常。
身長も体重も成長曲線のど真ん中。いたって平均。
成長は喜ばしいことだが、だんだん大きくなるにつれて問題が出てきた。
抱えるのめっちゃしんどい
今は14キロくらい。
歩けないから移動はバギーだけど、ちょっとした短距離なら抱っこ。
抱っこ紐は15キロくらいまで大丈夫みたいだけど、すでに身長が並みの3歳児のため飛び出る。
飛び出るうえに低緊張でふにゃふにゃだから、イナバウアー状態になってしまう。
ちなみに、しばらくは↓こういう市販の首カックンにならない頭あてを抱っこ紐につけて使っていた。
(板の強度が足りなかったから、柔らかいアクリル板を同じ大きさに切って入れ替えたりもしてた。)
車のチャイルドシートへの移乗やバギーの乗り降り、家の中で階段で2階に、ダイニングの椅子(バンビーナ)に座らせる、お風呂に入れる、とかも全部抱っこ。
たぶん歩けない障害児を育てている人は、どれだけ大きくなっても「抱っこ」での移動や移乗が毎日何度もあるはず。
いくら発達がゆっくりで細身だったりしても、年齢を重ねればそれなりに大きくなるものだ。
みんな、どうやってこの「抱っこしんどい」問題に対処しているのだろう。
続きを読む先天性GPI欠損症(病名判明!)
約半年ぶりのブログ更新!
2017年の冬から2018年の春にかけて、毎月のように痙攣発作を起こし救急搬送、入院、という日々を過ごしていた。
痙攣止めの薬がなかなか効かず、少しでも熱が出るとピクピクするミオクロニー発作から群発発作、チアノーゼ起こして重積、なんてのが続いていた。
今度こそ死んじゃうんじゃないか、とびくびくしていた。
そして、ついに2018年5月、娘の病名が判明した。
「先天性グリコシルホスファチジルイノシトール(GPI)欠損症」
なにそれ!? 聞いたことないんだけど。
というか、今まで主治医が「この病気かも?」と言って調べたけど違ってたっていう病気、ひとつも聞いたことなかったわ。(ex.アンジェルマン症候群、PCDH19関連症候群ほか)
一年前から依頼していた遺伝子検査の結果、特定の遺伝子異常が判明して、そこから派生してこの先天性GPI欠損症である、という確定診断がついた。
先天性GPI欠損症は大阪大学で研究されているので、最終的にそこに検体を送って確定した、という状況。
どんな病気かというと、
先天性GPI欠損症(IGD)は知的障害、運動発達障害と多くはてんかんを伴う遺伝病で、時に血清中のアルカリホスファターゼが高値になります。また手指の先端が短い、爪の低形成、難聴、他の臓器の奇形などを伴うことがあります。神経症状は年齢とともに進行することが多く、またてんかん発作にはビタミンB6(ピリドキシン)が著効する症例もあるので早期診断が重要です。まず血液のフローサイトメトリー検査でスクリーニングができるので疑いがある場合には是非ご連絡ください。
っていう病気。
この説明を読んでもちんぷんかんぷんだったけど、主治医がとてもわかりやすく説明してくれた。
「細胞がタンパク質をつなぎとめることができないことから、必要なビタミンなどを取り込むことができず、神経伝達に異常をきたしててんかん発作などが起こるのが、先天性GPI欠損症」
とのこと。
なるほど。この「細胞がタンパク質をつなぎとめる」役割をしているのが、GPIアンカー(錨)ってやつで、この錨(いかり)がほとんどない状態(全部なかったら胎児のまま死ぬ)だからGPI欠損、というらしい。
ビタミンは細胞のタンパク質を目指して入ってくるものだそうで、それができないから骨の形成異常や奇形が起きたり、てんかん発作が起きたりするそうな。
特にビタミンB6は神経伝達には欠かせない物質で、それが足りないから投薬で補う必要があるらしい。人によってはビタミンB6のおかげでてんかんが治まることもあるらしく、非常に期待している。
病名がわかったからといって障害はなくならないけど、こうして必要な投薬ができたりすることは本当によかったと思う。
できれば同じ病気の人(やその親)に会ってみたい!と思ったけど、ほとんど情報が出てこず。
ブログを発見したもののもう3年ほど更新されていなかったり…。
なにせ、国内に30人(世界で80人)しかいないという希少難病。
娘と同じ遺伝子型が原因の人は、国内に4名(世界で10名)しかいない。
昨年、指定難病になったばかりのまだ新しい疾患だ。
当然、親の会などというものは存在しない。
(「難病のこども支援全国ネットワーク」に電話して聞いてみたけど、やっぱり親の会はまだないようだ。)
(↑ちなみに、入会を検討中。)
うちの娘は症状が軽い方らしく、寝たきりの人も多いとか(ほとんど小児)。
そういう状態の子なら、きっとどこかで会う、なんていうのも難しいんだろうな。
でも、もしも同じ病気で悩んでいる親が、このブログを発見してくれたらとても嬉しい。
叩いてしまった
参加を迷っていた運動会だったが、「雨なら狭いホールと教室を使って簡単に済ます」ということで、見事雨になってくれたので参加することができた。
かけっこは全員なし!(うちは最初から不参加予定だったけど)
お遊戯も親の膝の上でニコニコ、パチパチして終わった。
人がごった返している上に、軽い参観のような感じだったので、特に目立つこともなく、ヒソヒソ言う人たちとも直接顔を合わせなくて済んだ。
とりあえず、一安心。
「別に運動会出なくていい」と言っていた息子も、終わってみれば「楽しかったね!」と言っていたので、やっぱり行って良かったと思う。
雨よ、ありがとう。
ところで、表題のこと。
うちの娘は、知的障害がある。
まだ知的の方の診断はついてないけど、言葉が出ない、理解していない、など親の目から見ても明らか。3歳を目処に手帳を申請しましょう、と医師からも言われている。
おまけに、感覚が鈍くて、痛みを感じにくい。
だからこそ、強い刺激を求めてしまう。(OTの訓練で知った。)
やたらと高いことろに登りたがり、硬い金属を噛んだり舐めたり。
感覚が面白いのか、自分の腕を血が出るまで噛んでいたこともある。
問題なのは、危険がわからないということ。
親の言っていることはさっぱり理解していないくせに、なんとか椅子によじ登って、ダイニンングテーブルの上に登って座ることを覚えてしまった。
ちなみに、まだ歩けないからつかまり立ちとハイハイですべて行う。
手先も不器用でまだパーに開けないから、グーのままで。
登るだけでも大変なことだ。
「危ない!やめなさい!」と怒って下ろしても、何度も、何度も、何度も繰り返す。
そして、そこからキッチンのカウンターにダイブするように。
信じられない。
普通怖いし、危ないし、何度もテーブルから落ちれば気づくだろう!
でも、何度言っても、伝わらない。
痛い思いをしても、やめない。
そして、一瞬目を離したすきに、カウンターに用意していた食事をすべてひっくり返した。
その瞬間、カーッと頭に血が上り、「何度言ったらわかるの!!」と娘を思いっきりビンタしてしまった。
熱いスープはまだ入れていなかったので、やけどはしなかったから良かった。
でも、 危険を理解できない娘への苛立ちと、一瞬でも目を離した自分への後悔と、なんやかんやのモヤモヤがついに爆発してしまった。
娘は痛みに鈍感だから、泣きもせずヘラヘラしていた。
でも、少しずつ赤く手形が浮き出てくる娘のほっぺを見て、私が号泣してしまった。
まだ2歳の子どもを殴るなんて、酷すぎる。
親失格だ。
そのうち、娘は私の様子がいつもと違うことに気づいたのか、機嫌が悪くなり、泣き出した。
娘を抱きしめて、一緒に泣くしかなかったんだけど、どうしても「ごめんね」が言えなくて、ただただ悲観にくれていた。
こんな親で、娘が可哀想だと思った。
「あなたなら育てられる、と分かっているから、神様が障害がある子を授けたんだよ」
という言葉が大嫌いだ。
そういうことを言う人には、「じゃあ、あなたも“優しい人”だから、きっと選ばれるよ、良かったね」と言い返してやりたい。
私は最低な親だ。
相談する相手もいないし、ブログに書いて罪悪感を軽くしようとしている。
もう絶対に叩かない、と誓いたい。
でも、本当に叩かないか、自信が持てない。
どうしたら、危険を理解してくれるようになるだろうか。
言っていることが伝わるだろうか。
「叱らない子育て」「言い聞かせて理解させる」なんて育児本には書いてあるけど、そもそも理解できない知的障害のある子は一体どうしたらいいんだ。
もしかしたら、昔の座敷牢ってのは世間から障害児を隔離するっていう理由の他に、なるべく怪我や危険から本人を遠ざけようっていう苦肉の策だったのかもしれない。
そんなこと、現代では無理だし、私もそれは望んでいない。
こんなことリアルの友人には相談できないし、今後の関係を考えると療育園の先生にも言えない。
似たようなことを乗り越えた人のブログでも探してみるか……
欲深さに反吐が出そう
お陰様で10日ほどの入院で無事に退院することができました。
退院から1週間経過して、ようやく日常が戻ってきた感じです。
ご心配おかけしてすみません。
娘の無事を祈ってくれた顔も知らぬ方々に感謝です。
……ご報告が遅くなったのは、入院中に出会ったある少女との出会いで、
自分の気持ちの整理がつかなかったためです。
* * * * * * * * * * * * *
マイコプラズマやインフルエンザの検査もしたけれど、
結局高熱が続いた原因は不明。
「ウイルス性の風邪だろう」ってことで有耶無耶になった。
問題は風邪の症状ではなく、発熱に伴う痙攣発作だ。
痙攣を起こすということは、脳に問題があるということ。
うちの子は、
「脳に何らかのバグがあって、発熱すると回路がショートを起こす」
のだと私は認識している。
それが痙攣となって全身に症状が起きる。
つまり、痙攣を起こすということは脳がオーバーヒートしている状態なので、
少なからず脳にダメージがあるのではないかと思っている。
実際、これまでに大きな発作があった後は一時的に片側が麻痺したり、意識障害を起こしたりしている。
幸いなことにすぐに回復しているが、
もしかしたら「発達が遅い」(身体的、知的に問題がある)ということそのものが痙攣(てんかん発作)の結果なのかもしれない。
これは難しい問題で、「脳に問題があるから発達遅滞であり、てんかんも起きる」ということもあるので、卵が先か鶏が先か、みたいな話になってくる。
でも痙攣が起きて良いことはないので、薬で抑える治療を継続しているわけだ。
今回の重積発作で一番恐れていたことは、
「発達が後退すること」
だった。
とりあえず痙攣のコントロールはできて、命に別状はないとわかったら、後は「これまでどおりに戻るだろうか?」ということが心配でならなかった。
生まれつき、できないことはできない、で納得している。
他の子とは違っていても、それでいいじゃないか、と思っている。
でも、「できていたことができなくなる」ということに対して、ものすごい恐怖があった。
退院間近になって、少しずつ元気を取り戻していく娘を見ていて、
・これまで通りに声掛けに反応するか?
・手を挙げたり、パチパチ叩いたりできるか?
・家族のことを認識できているか?
など、かなり神経質になってチェックした。
上の子は遠方(飛行機の距離)から来てくれた義母に見てもらい、早朝から深夜まで娘に付き添い、夜中は病院にお願いして一時帰宅、という生活の中で、私のストレスもピークになっていたのだと思う。
とにかく、娘が「元通り」になることを毎日願い、何度も何度も発達のチェックを繰り返した。
そんな時、病院で一人の少女とその母親に出会った。
娘より少し年上の女の子。
その子のお母さんはとても明るい人で、顔を合わせると話しをするようになった。
女の子は寝返りもできず、表情も乏しく、気管切開しており経管栄養だった。
つかまり立ちができて口から食べられる娘よりも、障害の度合いは重い。
それでもお母さんはいつも明るく自分の子に話しかけ、毎日通ってきて甲斐甲斐しく世話をしていた。
私は、「障害児の母としての先輩」のようにそのお母さんを見ていて、「私も見習わないとなぁ。頑張らないとなぁ」なんて思っていた。
そして娘が先に退院することになった。
そのお母さんと挨拶をして、初めてその子の障害のことを聞いた。
その子は、
「中途障害者」
だった。
「事故が原因で、脳症を起こして、重度障害を負った」
ほんの1年前まで歩いたり走ったり、おしゃべりして、元気いっぱいの健常児だったのに、ある日突然、寝たきりになったのだ。
まだ小さな子だし、てっきり先天性の障害なのだと思いこんでいたのだが、事故(特定を避けるためにぼかすが、交通事故ではなく、医療系のもの)が原因で後天的な障害を負ってしまった子だった。
私は、頭をガンと殴られたくらいの衝撃を受けた。
先天性の障害以外にも、そういう子がいるだろうということは分かっていても、実際に会ったのは初めてだった。
娘が、「元に戻ること」を切に願い、「発達が後退すること」を極度に恐れてきたこの数日間。
私が恐れていたのは、「本当に娘のことを思って」のことだったのだろうか?
できていたことができなくなるのを「見ている自分が辛い」ということじゃないのか?
そもそも、発達が後退したら「可哀想」なのか?
私は、娘の障害を理解しているつもりだったのに、本当は誰よりも「障害児」であることを恐れ、受け入れられていないのではないか?――
その子と、お母さんとの出会いで、私は自分の中にまだある「薄暗い感情」みたいなものに気付かされることになった。
「生きているだけで十分」じゃないか。
この子の存在があるだけで、それでいいじゃないか。
これまでにだっていろんなことがあったのに、どうしてまだ自分はこんなにも欲深いのか。
自分に対して反吐が出そうだ。
あるママ友が言っていたことを思い出した。
世の中や社会の不備に対して文句やら愚痴やら言っている私に、彼女はこう言った。
「今日死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれないってずっと思って過してきて。
でもそんなのがしばらく続いて、そういえば最近強くなってきたなって感じるタイミングがあって『あ、この子、もしかしたら私よりも長生きしたりするかも』って思えたのね。
そしたら、『もうそれで十分じゃない、これ以上何を望むの』って、思うようになったんだよね」
その話を聞いた時、私は「それはそうだけど、でもさー…」と思ったのだが、「それはそうだけど」の部分さえも、実は理解できていなかったのだな、と改めて気づいた。
「生きていてくれてありがとう」って言うのは簡単だ。
でも、本当に、心からそう思えるというのは、ものすごく難しいことだ。
急には立派な母親にはなれないけれども、少しずつ気づいて、学んで、娘と向き合っていこうと思う。
あの子との出会いがなければ、こんなことを考えもしなかっただろう。
あの子は今はしゃべることもできないけれど、私に大切なことを教えてくれた。
早く、あの子も退院してお家に帰れますように。
入院中です(メモ)
数日前から微熱が続いていた娘、昨日突然40℃に体温が跳ね上がり痙攣を起こし入院となった。
痙攣(2分)→意識なくなる(6分)→途中から呼吸もおかしい
で迷わず119番通報。
救急車の中で再び痙攣を起こし、止まらず重積発作となる。
呼吸が止まってチアノーゼを起こすが酸素吸入で戻る。
病院に着いて解熱剤と抗痙攣剤を使う。
1時間後、ようやく意識戻るがぼんやり。
2日目、今日も午前中は37℃台まで下がるも、午後から39.9℃、解熱剤効かず。
意識はなくなったり戻ったりを繰り返し、悪寒と痙攣のような震えが続く。
痙攣剤(点滴&座薬)を断続的に投与。
血液検査の結果は異常なし。
「原因はたぶん風邪」
保育園では特別流行ってる病気はない。
家族もみんな元気。
ただの風邪でこんなことになるとは、基礎疾患恐るべし。
主治医が夏休みで連休中なのも痛い。(仕方ないけど)
普段の粉薬のてんかんの薬は経口投与すると肺炎を起こす可能性があるとのことで、鼻から胃管になった。
元気な時には障害のある娘のことを可哀想だと思ったことはないが、熱と発作で苦しんでるのを見るとさすがに可哀想でならない。
代われるもんなら代わってやりたい。
普段は神様なんか信じてないけど、「私の残りの寿命を全部この子にあげてくれ」と祈りたくなる。
本当にその願いが叶ってるなら、これまで入院するたびに申し出てるから、私の寿命はもう残り少ないかもしれない。
このまま痙攣のコントロールがきかなければ、ICUで全身麻酔をかけ、人工呼吸器を使いながら抗痙攣剤を投与し続けることになる。
私は冷静に対処してるつもりだけど、不安と心配で吐きそうな時と、なぜか涙が出る時が波のようにやってくるので、勘弁してほしい。
はぁ。
明日には熱が下がりますように!
Eテレ「ココがズレてる健常者2 障害者100人がモノ申す」感想
録画で見たよ、8月18日午後10時~放送「ココがズレてる健常者2 障害者100人がモノ申す」(NHK)。
Eテレのバリバラから派生した特別企画の第二弾。(ちなみに、第一弾は私は見てない。)
健常者であるゲストと、100人の障害者のトークバトル。
とはいいつつ、実際にはあんまりトークバトルにはなってなくて、ある種の「いたたまれなさ」と「あるある!」という共感と「まじかww」という笑いの入り混じった不思議な番組だった。
「障害児の母」という健常者でありながら障害者と最も近くで接する立場になってしまった今となっては、純粋に楽しむこともできないし、かといって「可哀想」と同情するわけでも「失礼じゃない!」と怒れるわけでもなく。
傍から見たら終始「こんな時どんな顔をしたらいいかわからないの」という微妙な表情をしていたんじゃないだろうか。
健常者からの「障害者は健常者になりたいの?」という質問には、「別に今のままで満足」という答えが多かった。
生まれた時から障害があるから、別にそれが普通であって、「不便だけど不幸じゃない」、という意見。
それを言ってしまうと、今の自分の人生を否定することにもなる、という意見も後で出ていた。
ハライチの岩井が「自分の代わりに別の人が障害者になるとしたら?」という質問は「意味がわからない」という大ブーイングで、不快感を露わにした人が多かった。
私も「何言ってんだこの人」と思ったが、どうやら「先天性の障害は誰にでも起こりうる可能性があって、たまたま自分にその確率が当たってしまったということだから、それに対して『他の人が当たれば良かったのに』」と思わないんだろうか?」という主旨の発言だった模様。言わんとすることはわかる。
言い方は拙いが、「誰にでも起こりうる障害を忌避する」という感情は本能的なものであって、インターネットにはそれが蔓延しているという状況を踏まえると、特別おかしな質問でもなかったような気がする。
「某テーマパークでキャラクターと写真を撮るために並んでいたのに、障害者の団体が来てキャラクターがそっちへ行ってしまったら?」
という質問には、健常者は「別にどうも思わない」「えー並んでたのにずるい」と思ったり(普通だな)。
逆に障害者は「(キャラクターの写真は)いやいや、自分、普通のおっさんだし嬉しくないわ」と思ったり、テーマーパークに限らず混んでいる時に優先されるというのは「酸素の時間制限があるから助かる」という意見もあったり。
統合失調症の人が街なかで叫んだり喚いたりしていたら、当事者からすると「温かい目で見つつ、放っておいてほしい」という対応が正解のようだ。
『この人の真似をしてください』という親子を対象にした実験では、モニターに出てきた健常者の変顔は親子ともに真似をするのに、同じようにモニターに登場した障害者のモノマネは子どもは普通にして親はしなかった、という結果が出ていた。
このコーナーにはなんともいえない“いたたまれなさ”を感じてしまった。
子どもが真似をしたことに対して、親は「そういうことをしてはいけないと、教育しなきゃいけないなと思った」と言っていた。
障害者が変顔したって面白ければ笑えばいい。
でもそれが、変顔じゃなくて、障害でそういう表情になってるだけだったら?
それって笑っていいの?真似していいの?
非常に難しい問題だ。
スタジオにいた脳性麻痺の人なんかは子供の頃に「いじめ」の一環として歩き方を真似された経験がある人が多かった。
うちの子がもし同じ目に遭ったら、たぶん相手の子を一生恨んでしまうと思う。
でも、もしその相手の子はうちの子に興味を持って、もっと知りたいと思っているだけなら?
……うーん。
栗原類は「モノマネに愛があるのか、いじめの武器としているのか、が問題」だと言っていた。
でも、低学年の子はそんなことを考えずにやってしまう可能性もある。
ご意見番、玉木さんはさすがという感じで、「子どもが悪意なく真似をすることに対して、ただ単に大人が禁止するだけでなく、どういう気持ちであるのかなど、真似をした子、真似をされた子が互いに納得する形を提案すべき」だと言っていた。
要は「是非は大人の対応次第」ということだ。
なるほど。
一番バラエティーとして面白かったのは「視覚障害者に一目惚れはあるのか?」という話。
「イケボイス」というのがあり、声の質や声の聞こえる高さ(身長)や匂いなどから、その人がイケメンかどうか判断するため、「一目惚れはある」そうな。
「禿げてる人は声でわかる」というのは笑えた。
全体を通して思ったのは、「障害者だから」というひとくくりはやはり無理があるということ。
どんなことに対しても「個人に合わせた対応」というのが必要なのだな、と思った。
100人の障害者をスタジオに集めたところで、凄まじい圧迫感はあるものの、統合失調症から四肢欠損までてんでバラバラの障害を抱えている人達なので、なんとも統一感はなくとっ散らかっていた。
話したくても話せない人も大勢いただろうし。
「障害者」というカテゴリーはもはや何の意味もないので、結局はそれぞれの人に合わせた、それぞれの支援や対応が不可欠なんだろうな。
そのことに改めて気付かされた。
一番の理想は、障害者が当たり前に周囲にいてそれが普通だから、あえてこんな番組を作ってもセンセーショナルでもなけりゃ面白いわけでもない、くらいになることなのかもしれない。