深夜にコンビニに来る親子
ジョン・レノンが言った。
「imagine」(想像して)と。
そしたら世界はきっとひとつになると。
「想像力」はバリアフリーを考える上で、なくてはならないもの。
子どもをもってから痛感するようになった。
深夜に子どもをコンビニに連れて来る親なんて、ろくでもない。
こんな夜中まで子どもを連れ回して遊んでるなんて最低。
と、過去の私は思っていた。
でも、それは想像力が欠如していたことに気づいた。
上の子が2歳になる前、夜中に突然泣きながら目を覚ましたことがある。
「お耳、痛い」
拙い言葉で、耳が痛いことを訴えてくる。
なんとかなだめて寝かそうとしても、横になってしばらくすると「痛い、痛い」と言って泣いて、眠れない様子。
困り果てて救急相談に電話してみると、
「緊急性はなさそうですが、もしも救急で病院に行くなら、A病院しか診察する余裕はありません」
と言われる。
そのA病院は我が家からなんと車で2時間かかる場所にあった。
(近所に総合病院はあるが、基礎疾患のない上の子は緊急性がないと判断されて遠くに回されたようだ。)
悩んだ挙句、どうせ数時間の差で近所の耳鼻科も開くから、自宅で様子を見ることにした。
しかし、寝付けないのはかわいそうだ。
結局、徒歩15分のコンビニまで往復して歩かせて、疲れたところを寝かせることにした。
コンビニに行った子どもは大はしゃぎで、好きなジュースを一本買って、ニコニコしながら帰路についた。
その時、コンビニの店員はいかにも「うわー…」という顔をして私たちを見ていた。
「いや、あのね。子どもが耳が痛いっていって眠れないみたいで、かわいそうだからこうして歩かせて…」なんていちいち説明するわけにはいかないから、別に悪いこともしてないのにコソコソとお金を払って後にした。
今となっては懐かしい思い出だけど、「コンビニやドンキに夜中に子供を連れて来る親って…」なんて内心批判していた自分恥ずかしくなった。(ちなみに、子どもは中耳炎だった。)
人には色んな事情がある。
甘やかして大きな子をベビーカーに乗せているわけでななく、障害があって歩けないから子供用車椅子に乗っているんだ。
午後の遊びの誘いを断るのは、神経質に昼寝の時間を守らせようと“教育ママ”をしているわけじゃなくて、夕方疲れて発作が出てしまうのを防ぐためだ。
想像力を少し働かせれば、人と人の間にある悪感情はかなりマシになるんじゃないだろうか。
近所のスーパーでこんなことがあった。
お客様の声という掲示板に、こんな投書が寄せられていた。
「駐車場の車椅子専用スペースに、従業員が駐車していた!スーパーの従業員教育はどうなっているんだ」と。
それに対するスーパーからの回答は、こうだ。
「ご意見をいただきまして調査したところ、従業員の一人が◯月☓日に車椅子専用スペースに駐車していたことがわかりました。この従業員は車椅子を使用しています。その日は通常使用している乗り降りできるスペースのある場所が満車で、一時的に車椅子専用スペースに駐車をしたとのことでした。お客様にご不便をおかけしていたとしたら大変申し訳ありません。再発防止のため、改めて従業員の駐車スペースの徹底に努めて参ります。ですが、こうした事情のある従業員がいるということもご理解いただけたらと思います。」
概ね、こんな感じの回答だった。
ハッとした。そんなこと考えたこともなかった。
車椅子の従業員さんも、いつも停めて降りるところがなかったから焦ったんだろうなぁとか、色々想像してしまった。
投書をした人が、どうして駐車したのが従業員ってわかったかは謎なんだけど、文面からすると車椅子を使っている従業員ということまでは知らないようだった。
あの回答を読んで、どう思ったかな。
ヤベ、気まずい。と思っただろうか。
それとも、「車椅子だからって関係ない!従業員は停めるべからず!」と意思を貫き通しただろうか。まぁそれはそれである意味平等な精神ともいえるけど。
なかなか難しいことだけど、街で「なんだあいつ」と思うような非常識な人を見ても、一呼吸置いて、色んな事情を想像してみよう。
ちなみに私は、無謀な運転をしている車を見ると「ウンコを我慢してるか、奥さんが産気づいたという連絡をもらった人」だと思うようにしている。