相模原障害者殺傷事件の被害者
2016年7月26日に発生した「相模原障害者殺傷事件」。
障害者施設「津久井やまゆり園」で発生したこの事件は、第二次大戦後に発生した国内の事件では最も犠牲者の数が多く、戦後最悪の大量殺人事件として記録される。
逮捕されたのは元施設職員の植松聖(うえまつさとし)、事件当時26歳。
Wikipediaにもこの事件の項目はあるけれど、まだ“被告人”ということで名前は「A」として伏せている。起訴はされたが、裁判は確定していないから、ということだ。
とはいえ、あれだけ報道で名前は流れたので、植松聖の名前を聞いたことのない人の方が少ないだろう。
被告人の素性などに関しては多くの報道がされたが、精神科病院への入院歴やその言動のおかしさから、「犯人も障害者なんじゃ?」との疑惑を持った人は多いだろう。
この辺のことは裁判で明らかになっていくはずなので、置いておくとする。
相模原障害者殺傷事件で注目すべきは、「被害者の名前が報道されなかった」という点だ。
【相模原障害者殺傷事件 被害者】
・死亡:19名
・重軽傷:27名(うち職員3名)
となっている。
【亡くなった人 19名(女性10名、男性9名)】
・女性(19)
・女性(26)
・女性(35)
・女性(40)
・女性(46)
・女性(55)
・女性(60)
・女性(65)
・女性(65)
・女性(70)
・男性(41)
・男性(43)
・男性(43)
・男性(49)
・男性(55)
・男性(65)
・男性(66)
・男性(66)
・男性(67)
(朝日新聞取材班『妄信 相模原障害者殺傷事件』より)
殺された人は見事に全員、性別と年齢だけしか公表されなかった。
神奈川県警は「知的障害者支援施設であり、遺族のプライバシー保護の必要性が極めて高い」「遺族から強い匿名希望があった」と説明したという。
これまで殺人事件の被害者のプライバシーなんかお構いなしに報道しまくってきたメディアも、沈黙せざるをえなかった模様。
もちろん、メディア関係者の中には匿名報道に関してはさまざまな思いを抱いている人も多い。事件の被害者の名前を伏せたことについての是非について、自身の見解を発信している人もたくさんいる。
遺族側の立場になると、「障害のある家族を施設に入れていたことの後ろめたさ」とか、「障害者がいることがわかると親戚の縁談に影響が出る」などの問題があることも理解できる。
それに、マスコミの執拗な報道によって家族自身のプライバシーも垂れ流されてしまう可能性もあるし、世間から冷たい目で見られるかもしれない、という恐れもあるだろう。
それでもやっぱり、「人として生まれて、生きてきた証」としての「名前」を出されない、というのは悲しい。
被害者が匿名であるがゆえに、「人が殺された」のではなくて「障害者が殺された」ということになってはいないだろうか?
「死んだのは、個人ではなく、そのカテゴリーの人」ということになるのは違うんじゃないかと思う。
そのカテゴリーに当てはまらない人は、「自分とは無関係の事件」としてこの事件を忘れていってしまうのではないか…そんな危惧がある。
事件後、インターネット上には、被害者の遺族に対して、
「でも、死んでホッとしたんじゃない?」
という感想を持った人もいるようだった。
当事者ではないので、遺族一人一人のことは、私にはわからない。
でも、自分のことに関しては、これだけは断言できる。
障害がある家族(子ども)が殺されて、ホッとなんか絶対にしない。
基礎疾患があるから、これまで何度も「死んでしまうんじゃないか」と思う場面はあったし、「もしかしたらこの子は長生きできないんじゃないか」と考えることもある。
『死』に関しては、かなり身近に感じる。
でも、病気で死んでしまうのと、誰かに殺されるのはまったく別の話だ。
子どもが死んでホッとする、なんていう考えは恐らく障害を持った家族がいない人の思う勝手な妄想だろう。
たくさんのことを乗り越えて頑張っている家族は、「殺されてホッとする」なんて発想は抱かないはずだ。
健常者の子を持つ人に、
「でも、長生きしたって大変なことはあるし、殺されてホッとしたでしょ?」
なんて絶対に言わないと同様に、障害者のいる家族に対してもそういうことを言うのは見当違いだということを自覚してほしい。
障害を持つ人の家族が「罪悪感」や「後ろめたさ」を感じなくなるような世の中になれば、「障害者だから匿名報道」という考えそのものがなくなるだろう。
いつか、そういう日が来るように。
そして、名も知らぬ被害者の冥福を祈る。