普通の主婦が調べるブログ

障害のある子を適当に育てる日記

Eテレ「ココがズレてる健常者2 障害者100人がモノ申す」感想

録画で見たよ、8月18日午後10時~放送「ココがズレてる健常者2 障害者100人がモノ申す」(NHK)。

www6.nhk.or.jp

Eテレのバリバラから派生した特別企画の第二弾。(ちなみに、第一弾は私は見てない。)

健常者であるゲストと、100人の障害者のトークバトル。

とはいいつつ、実際にはあんまりトークバトルにはなってなくて、ある種の「いたたまれなさ」と「あるある!」という共感と「まじかww」という笑いの入り混じった不思議な番組だった。

「障害児の母」という健常者でありながら障害者と最も近くで接する立場になってしまった今となっては、純粋に楽しむこともできないし、かといって「可哀想」と同情するわけでも「失礼じゃない!」と怒れるわけでもなく。

傍から見たら終始「こんな時どんな顔をしたらいいかわからないの」という微妙な表情をしていたんじゃないだろうか。

 

健常者からの「障害者は健常者になりたいの?」という質問には、「別に今のままで満足」という答えが多かった。

生まれた時から障害があるから、別にそれが普通であって、「不便だけど不幸じゃない」、という意見。

それを言ってしまうと、今の自分の人生を否定することにもなる、という意見も後で出ていた。

ハライチの岩井が「自分の代わりに別の人が障害者になるとしたら?」という質問は「意味がわからない」という大ブーイングで、不快感を露わにした人が多かった。

私も「何言ってんだこの人」と思ったが、どうやら「先天性の障害は誰にでも起こりうる可能性があって、たまたま自分にその確率が当たってしまったということだから、それに対して『他の人が当たれば良かったのに』」と思わないんだろうか?」という主旨の発言だった模様。言わんとすることはわかる。

言い方は拙いが、「誰にでも起こりうる障害を忌避する」という感情は本能的なものであって、インターネットにはそれが蔓延しているという状況を踏まえると、特別おかしな質問でもなかったような気がする。

 

「某テーマパークでキャラクターと写真を撮るために並んでいたのに、障害者の団体が来てキャラクターがそっちへ行ってしまったら?」

という質問には、健常者は「別にどうも思わない」「えー並んでたのにずるい」と思ったり(普通だな)。

逆に障害者は「(キャラクターの写真は)いやいや、自分、普通のおっさんだし嬉しくないわ」と思ったり、テーマーパークに限らず混んでいる時に優先されるというのは「酸素の時間制限があるから助かる」という意見もあったり。

 

統合失調症の人が街なかで叫んだり喚いたりしていたら、当事者からすると「温かい目で見つつ、放っておいてほしい」という対応が正解のようだ。

 

『この人の真似をしてください』という親子を対象にした実験では、モニターに出てきた健常者の変顔は親子ともに真似をするのに、同じようにモニターに登場した障害者のモノマネは子どもは普通にして親はしなかった、という結果が出ていた。

このコーナーにはなんともいえない“いたたまれなさ”を感じてしまった。

子どもが真似をしたことに対して、親は「そういうことをしてはいけないと、教育しなきゃいけないなと思った」と言っていた。

 

障害者が変顔したって面白ければ笑えばいい。

でもそれが、変顔じゃなくて、障害でそういう表情になってるだけだったら?

それって笑っていいの?真似していいの?

非常に難しい問題だ。

スタジオにいた脳性麻痺の人なんかは子供の頃に「いじめ」の一環として歩き方を真似された経験がある人が多かった。

うちの子がもし同じ目に遭ったら、たぶん相手の子を一生恨んでしまうと思う。

でも、もしその相手の子はうちの子に興味を持って、もっと知りたいと思っているだけなら?

……うーん。

 

栗原類は「モノマネに愛があるのか、いじめの武器としているのか、が問題」だと言っていた。

でも、低学年の子はそんなことを考えずにやってしまう可能性もある。

ご意見番、玉木さんはさすがという感じで、「子どもが悪意なく真似をすることに対して、ただ単に大人が禁止するだけでなく、どういう気持ちであるのかなど、真似をした子、真似をされた子が互いに納得する形を提案すべき」だと言っていた。

要は「是非は大人の対応次第」ということだ。

なるほど。

 

一番バラエティーとして面白かったのは「視覚障害者に一目惚れはあるのか?」という話。

「イケボイス」というのがあり、声の質や声の聞こえる高さ(身長)や匂いなどから、その人がイケメンかどうか判断するため、「一目惚れはある」そうな。

「禿げてる人は声でわかる」というのは笑えた。

 

全体を通して思ったのは、「障害者だから」というひとくくりはやはり無理があるということ。

どんなことに対しても「個人に合わせた対応」というのが必要なのだな、と思った。

100人の障害者をスタジオに集めたところで、凄まじい圧迫感はあるものの、統合失調症から四肢欠損までてんでバラバラの障害を抱えている人達なので、なんとも統一感はなくとっ散らかっていた。

話したくても話せない人も大勢いただろうし。

「障害者」というカテゴリーはもはや何の意味もないので、結局はそれぞれの人に合わせた、それぞれの支援や対応が不可欠なんだろうな。

そのことに改めて気付かされた。

 

一番の理想は、障害者が当たり前に周囲にいてそれが普通だから、あえてこんな番組を作ってもセンセーショナルでもなけりゃ面白いわけでもない、くらいになることなのかもしれない。