普通の主婦が調べるブログ

障害のある子を適当に育てる日記

欲深さに反吐が出そう

お陰様で10日ほどの入院で無事に退院することができました。

退院から1週間経過して、ようやく日常が戻ってきた感じです。

ご心配おかけしてすみません。

娘の無事を祈ってくれた顔も知らぬ方々に感謝です。

 

……ご報告が遅くなったのは、入院中に出会ったある少女との出会いで、

自分の気持ちの整理がつかなかったためです。

 

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マイコプラズマやインフルエンザの検査もしたけれど、

結局高熱が続いた原因は不明。

「ウイルス性の風邪だろう」ってことで有耶無耶になった。

 

問題は風邪の症状ではなく、発熱に伴う痙攣発作だ。

痙攣を起こすということは、脳に問題があるということ。

うちの子は、

「脳に何らかのバグがあって、発熱すると回路がショートを起こす」

のだと私は認識している。

それが痙攣となって全身に症状が起きる。

つまり、痙攣を起こすということは脳がオーバーヒートしている状態なので、

少なからず脳にダメージがあるのではないかと思っている。

実際、これまでに大きな発作があった後は一時的に片側が麻痺したり、意識障害を起こしたりしている。

幸いなことにすぐに回復しているが、

もしかしたら「発達が遅い」(身体的、知的に問題がある)ということそのものが痙攣(てんかん発作)の結果なのかもしれない。

これは難しい問題で、「脳に問題があるから発達遅滞であり、てんかんも起きる」ということもあるので、卵が先か鶏が先か、みたいな話になってくる。

でも痙攣が起きて良いことはないので、薬で抑える治療を継続しているわけだ。

 

今回の重積発作で一番恐れていたことは、

「発達が後退すること」

だった。

とりあえず痙攣のコントロールはできて、命に別状はないとわかったら、後は「これまでどおりに戻るだろうか?」ということが心配でならなかった。

 

生まれつき、できないことはできない、で納得している。

他の子とは違っていても、それでいいじゃないか、と思っている。

でも、「できていたことができなくなる」ということに対して、ものすごい恐怖があった。

 

退院間近になって、少しずつ元気を取り戻していく娘を見ていて、

・これまで通りに声掛けに反応するか?

・手を挙げたり、パチパチ叩いたりできるか?

・家族のことを認識できているか?

など、かなり神経質になってチェックした。

上の子は遠方(飛行機の距離)から来てくれた義母に見てもらい、早朝から深夜まで娘に付き添い、夜中は病院にお願いして一時帰宅、という生活の中で、私のストレスもピークになっていたのだと思う。

とにかく、娘が「元通り」になることを毎日願い、何度も何度も発達のチェックを繰り返した。

 

そんな時、病院で一人の少女とその母親に出会った。

 

娘より少し年上の女の子。

その子のお母さんはとても明るい人で、顔を合わせると話しをするようになった。

女の子は寝返りもできず、表情も乏しく、気管切開しており経管栄養だった。

つかまり立ちができて口から食べられる娘よりも、障害の度合いは重い。

それでもお母さんはいつも明るく自分の子に話しかけ、毎日通ってきて甲斐甲斐しく世話をしていた。

私は、「障害児の母としての先輩」のようにそのお母さんを見ていて、「私も見習わないとなぁ。頑張らないとなぁ」なんて思っていた。

 

そして娘が先に退院することになった。

そのお母さんと挨拶をして、初めてその子の障害のことを聞いた。

 

その子は、

「中途障害者」

だった。

 

「事故が原因で、脳症を起こして、重度障害を負った」

 

ほんの1年前まで歩いたり走ったり、おしゃべりして、元気いっぱいの健常児だったのに、ある日突然、寝たきりになったのだ。

 

まだ小さな子だし、てっきり先天性の障害なのだと思いこんでいたのだが、事故(特定を避けるためにぼかすが、交通事故ではなく、医療系のもの)が原因で後天的な障害を負ってしまった子だった。

 

私は、頭をガンと殴られたくらいの衝撃を受けた。

 

先天性の障害以外にも、そういう子がいるだろうということは分かっていても、実際に会ったのは初めてだった。

 

娘が、「元に戻ること」を切に願い、「発達が後退すること」を極度に恐れてきたこの数日間。

私が恐れていたのは、「本当に娘のことを思って」のことだったのだろうか?

できていたことができなくなるのを「見ている自分が辛い」ということじゃないのか?

そもそも、発達が後退したら「可哀想」なのか?

私は、娘の障害を理解しているつもりだったのに、本当は誰よりも「障害児」であることを恐れ、受け入れられていないのではないか?――

 

その子と、お母さんとの出会いで、私は自分の中にまだある「薄暗い感情」みたいなものに気付かされることになった。

 

「生きているだけで十分」じゃないか。

この子の存在があるだけで、それでいいじゃないか。

これまでにだっていろんなことがあったのに、どうしてまだ自分はこんなにも欲深いのか。

自分に対して反吐が出そうだ。

 

あるママ友が言っていたことを思い出した。

世の中や社会の不備に対して文句やら愚痴やら言っている私に、彼女はこう言った。

 

「今日死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれないってずっと思って過してきて。

でもそんなのがしばらく続いて、そういえば最近強くなってきたなって感じるタイミングがあって『あ、この子、もしかしたら私よりも長生きしたりするかも』って思えたのね。

そしたら、『もうそれで十分じゃない、これ以上何を望むの』って、思うようになったんだよね」

 

その話を聞いた時、私は「それはそうだけど、でもさー…」と思ったのだが、「それはそうだけど」の部分さえも、実は理解できていなかったのだな、と改めて気づいた。

 

「生きていてくれてありがとう」って言うのは簡単だ。

でも、本当に、心からそう思えるというのは、ものすごく難しいことだ。

 

急には立派な母親にはなれないけれども、少しずつ気づいて、学んで、娘と向き合っていこうと思う。

あの子との出会いがなければ、こんなことを考えもしなかっただろう。

あの子は今はしゃべることもできないけれど、私に大切なことを教えてくれた。

早く、あの子も退院してお家に帰れますように。