普通の主婦が調べるブログ

障害のある子を適当に育てる日記

天使ちゃん ダウンちゃん

障害児を抱えている母親どうしであっても、色々と温度差がある。

「障害児」と私は普通に書くけど、頑なに「障碍児」「障がい児」と書く人もいる。

障害があるのは我が子ではなくて、社会だというのも一理あるし、「害」という字はマイナスイメージがあるので嫌悪感を持つ人もいるのもわかる。

私にはその字に特にこだわりがないがこれは本当に個人差だと思うので、好きにすればいいと思う。

 

ただ、私はダウン症の子を「ダウンちゃん」と呼ぶことにとても抵抗がある。

脳性麻痺ちゃん」とか「自閉ちゃん」とか言わないのに、どうしてダウン症

の子だけ「ダウンちゃん」なのだろう。

ダウン症の子に明るくて愛嬌のある子が多いのは知っているけど、明るくていい子というのはあくまでも個人であって、「ダウンちゃん」じゃないと思う。

 

 

 

障害がある子を連れていると、よく他人から「この子は天使ね」と言われることがある。

 

まだ昇天してねーよ!(笑)

 

と突っ込みたいところだけど、「うふふー」と微笑むくらいにしている。

他人だけでなく、実の親からも「天使、天使」と言われ、うんざりしている。

「天使のように外見が可愛いらしい」ならまあ百歩譲って許せるが(実際にはそんな風な意味で言われたことはない)、なんというか「存在そのものが天使」と言われるのは、んなわけあるかい、と思う。

 

天使じゃなくて、人間です。

 

ウンコもするし、嫌なことがあれば不機嫌になるし、病気で死にかけたりするし、生きていくだけで金もかかる。

育てるのには喜びも苦しみもあって、子を思う気持ちは健常の子へのものと何も変わらない。

 

「ダウンちゃん」と呼ぶのも、「天使ちゃん」と呼ぶのも、その子の個人としての尊厳みたいなものを無視しちゃってる感じがするから、私は抵抗があるのだと思う。

 

読みかけの本に、「障害児を連れて散歩していたら、すれ違った老人から『この子は仏様じゃ』と言って拝まれ涙を流されて唖然とした」というエピソードが載っていた。

笑えるけど、背筋がゾッとする話だ。

言っている老人はまったく悪意はなく、それどころかどちらかというと「善良な人」だ。

そんな人が持っている「無意識の差別」というのは、とても恐ろしいものだと思う。

こうしたものを失くすには、知識の集積と経験が必要で、文化の成熟みたいなものとも関連してくる。壮大な話だ。

 

とりあえず私は、障害のある子を「天使ちゃん」「ダウンちゃん」とは今後も絶対に呼ばない。