それでも私は、羊水検査を受けるのか?
障害者福祉の歴史を、簡単に年表にしてみた。
福祉関係の本を読んでいると基礎知識として結講出て来るので、参考に。
【ざっくり障害者福祉年表】
1933年 「遺伝病子孫防止法」(ドイツ)
1939年 T4作戦(ドイツ)
1940年 「国民優生法」(断種法/不妊手術)
1948年 「優生保護法」(強制断種/中絶容認)
1949年 「身体障害者福祉法」施行
1961年 「知的障害者福祉法」施行(当初「精神薄弱者福祉法」99年名称変更)
1971年 「精神薄弱者の権利宣言」国連採択
1973年 「福祉元年」田中角栄内閣が位置付け
1975年 「障害者の権利宣言」国連採択
1981年 「国際障害者年」と国連が指定
1996年 「母体保護法」成立(旧「優生保護法」から名称変更/強制断種は削除)
2006年 「障害者権利条約」が国連で採択
2006年 「障害者自立支援法」施行
2007年9月 「障害者権利条約」に日本が署名 ~国内法の整備を進める
2013年 「障害者総合支援法」施行(旧「障害者自立支援法」)
2014年1月 「障害者権利条約」批准
2016年4月 「障害者差別解消法」施行
2016年7月 相模原障害者殺傷事件
1868年に明治維新で近代国家へと歩み始めた日本。
欧州では1800年前後には産業革命が起きていたから、かなり遅れてのスタートだ。
1894年には日清戦争、1904年に日露戦争、1914年には第一次世界大戦、1939年~1945年までは第二次世界大戦という、激動の戦争の世紀の中、「優生思想」が世界中にはびこっていく。
世界で最初に「優生学」を唱えたのは、1865年、イギリス人のフランシス・ゴルドンだ。この人、あの「種の起源」のダーウィンの従兄弟。すなわち、1959年のダーウィンの「種の起源」に影響されて、優生学は生まれたのだ。
1800年前後に産業革命が起きたことを踏まえると、産業が勃興してイケイケドンドンな1800年代半ば以降、きっと「もっと、もっと、発展を!」となっていたんだろう。
そこで人間は、道具ではなく人間そのものを発展させようと考えた。
内面的な発展ではなく、「優秀な知能」と「健康な肉体」を持つ「優性な人々」の遺伝子を残そうとした。そのために、「劣性な人々」を排除する方向になっていく。
命は「尊厳」ではなく、「価値」が重視されるようになった。
1930年に入ると、「断種」が世界中で積極的に行われるようになる。
今は福祉国家なんて言われるデンマークやスウェーデンでも遺伝子を排除するために障害者の強制断種が行われていた。もちろん、日本でも。
最も悪質なのは第二次世界大戦中に行われたドイツの「T4作戦」だ。
断種だけでなく、「劣性な人々」をドイツはT4作戦により虐殺した。障害者は積極的に殺されるという暗黒の時代の到来だ。T4作戦はユダヤ人を虐殺するための前段階であった。
恐ろしいのは、ナチス主導ではあったが、国民もそれを支持していたということ。
医療関係者は率先して断種や排除(殺害)に加担した。
優生思想がここまですんなりと受け入れられたというのは、人間の根源に障害者を差別する心があるからだろう。
人間は動物なので本能的に「遺伝子の欠陥」を避けて子孫を残そうとする。だから、病気や障害のある人だけでなく不細工やハゲもモテない。
そういう本能があったとしても、「命は平等である」という思想を取り入れてより高いところを目指すのが、高度な知能を獲得し「文明」を築いてきた人間なのではないだろうか。
「劣性」や「弱者」というレッテルを貼って排除したところで、それは人間が勝手に決めた基準でしかないため、時の為政者や社会によって「劣性」の定義は変わっていく。
T4作戦も、勇気ある一人の牧師が「今は障害者を排除しているけど、障害者がいなくなれば、次は老人になる。老人がいなくなったら、次は誰が対象になる?自分自身もその対象にならないとは限らない。他人事ではない」という主旨の発言をして、国民はビビった。
そして、批判が大きくなりT4作戦は終わった。(しかし、医療関係者による“自発的な”T4作戦の遂行は続き、ナチスはユダヤ人の大量虐殺へと邁進していく。)
人間の思想では障害者は「劣性」なのかもしれない。しかし、ものすごく長い目で見れば、遺伝子の突然変異や障害は、新たな種の進化や可能性を秘めているのかもしれない。
そして多様性を認めることが、文化を発展させて、様々な価値観を生み出して社会を豊かにする。
こんな大層なことを言っているが、私自身にも「優生思想」の種があり、そのことがずっと心を苦しめている。
実は娘を妊娠した時、私は羊水検査を受けている。
第一子の時は受けなかったが、第二子を生むにあたって、もし障害があったら育てられないし、上の子にも迷惑がかかると思ったからだ。
当然、結果が悪ければ堕ろすつもりでいた。
そして、羊水検査の結果は異常なし。
そのことで安心して、心穏やかに妊娠期間を過ごすことができた。
生まれてしまえば後は愛情が勝るので、障害があるとわかっても「まあ羊水検査でわからない障害の方が多いし、仕方ないよな」と思って、特にショックを受けるということはなかった。
しかし最近になって、色んな本を読んで「優性思想」のことを知り、出生前診断もその優生思想に基づいたものであると気づいた。
優生思想のことを考えるまでは、
胎児に人権が認められていない以上、産む母親に胎児の殺生権利がある。
だから、障害があると分かったら堕ろしても問題ない。
生まれてしまえば、一人の人権のある子どもだから、例え障害があろうと愛情を込めて育てる。
という考えだった。
この考えは特に矛盾もしていないと思っていて、うちの子はたまたま羊水検査で分からない障害だったから産んだけど、もしわかっていたら堕ろしていたかもなー。まぁそれも仕方ないよな、と軽く考えていた。
でも「障害があると分かったら堕ろす」という考えそのものが、実は優生思想に基づき、さらに支えているという事実に気づき、愕然とした。
「実際に日本の障害者福祉は進んでいないし、こんな世の中で障害児が生んだら大変じゃん。だから、出生前診断は間違っていない」
という意見があるのももちろんわかっている。私もずっとそう思っていた。
障害者福祉の不備→障害児産みたくない
というのは、よく言われることだ。母親を責めずに政府を責めろ、というのも理解できる。
でも、
障害者福祉の不備→障害児産みたくない→障害者への偏見→障害者福祉の不備→障害児産みたくない→障害者への偏見……
という負のループに加担してはいないだろうか?
自分の行為が偏見を助長する流れにつながってはいないだろうか?
今実際に娘を育てているから障害があっても普通に育てられるということは分かっているし、大変なこともなんとかなっているので、「この子がいなければ」とは思わない。でも、もしまた妊娠したら(予定はないけど)、
「私は羊水検査を受けません!」
と宣言できるだろうか?
「こんな世の中だから産めない」
だけなのか?
「産んでも安心できる世の中なら産むけど、そうじゃない」
と言うが、
もし産んでも保障がしっかりしていて安心できるなら、本当に産むのか?
このあたりを突き詰めていくと、すごく苦しくなる。
自分の中にある「優生思想」と決別できなくて、折り合いがつけられない。
何のためらいもなく普通に羊水検査を受けた私の行為は、ナチスのT4作戦を支持した市民の思想に繋がっているのでないのか…?
これから羊水検査や出生前診断を受けようという妊婦を批判できないし、検査に反対はできない。私もまた受けるかもしれない。答えはまだ出ない。
でも、もし羊水検査を受けるなら、社会の不備以前に、自分の心の中に「優生思想」があることも認識してほしいと思う。
そして、どんな子が生まれても、愛してあげてほしいと思う。