天使ちゃん ダウンちゃん
障害児を抱えている母親どうしであっても、色々と温度差がある。
「障害児」と私は普通に書くけど、頑なに「障碍児」「障がい児」と書く人もいる。
障害があるのは我が子ではなくて、社会だというのも一理あるし、「害」という字はマイナスイメージがあるので嫌悪感を持つ人もいるのもわかる。
私にはその字に特にこだわりがないがこれは本当に個人差だと思うので、好きにすればいいと思う。
ただ、私はダウン症の子を「ダウンちゃん」と呼ぶことにとても抵抗がある。
「脳性麻痺ちゃん」とか「自閉ちゃん」とか言わないのに、どうしてダウン症
の子だけ「ダウンちゃん」なのだろう。
ダウン症の子に明るくて愛嬌のある子が多いのは知っているけど、明るくていい子というのはあくまでも個人であって、「ダウンちゃん」じゃないと思う。
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ロンパース肌着がない
子どもの背が伸びるにつれて困っているのが、股下をボタンで留める「ロンパース」型の肌着のサイズがないということ。
歩けないため床をゴロゴロしていると、どうしても腹が出てしまう。
冬場はもちろんのこと、夏場でも冷房で冷えるから肌着を着せたい。
お腹が出ないように股下ボタンのロンパース肌着がベストなんだけど、赤ちゃんサイズしかないため困っている。
我が家から行ける範囲の店では
・西松屋:80センチ
・ベビザラス、ユニクロ:90センチ
・赤ちゃん本舗:95センチ
まで、というのが私調べ。
ググってみたら、どうやら同じようなことで悩んでいる人はたくさんいる模様。
そして、「ロンパース100センチ」では見つけられなかったが、「障害児 肌着」で検索するといくつか出て来る。
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「障害のある子が『親なきあと』にお金で困らない本」(書籍)
障害者手帳を申請した頃に、とりあえず何か本でも読んでみるか、と購入したのがこの本。
「障害のある子が『親なきあと』にお金で困らない本」渡部伸著(2016年/主婦の友社)
障害児の親の一番に考えるのは
「この子は将来どうなってしまうんだろう」
ということだ。
先も見えず、差別はいまだにあり、不安だけがどんどん膨れ上がる中、とにかく少しでも情報が欲しくてこの本を手に取った。
「明るく、前向きに生きる」なんていうのは二の次で、まずは「将来の道筋の目安」みたいなものを知りたかった。
この本は同じ著者の「障害のある子の家族が知っておきたい「親なきあと」―お金の管理 住むところ 日常のケア」という本の続編だそうだ。
とりあえず新しいものを先に読んでみた。
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ブラックボックス展の痴漢問題
ネットで流れてきたニュースが気になった。
サザエbotの運営者「なかのひとよ」の個展、「ブラックボックス展」に訪れた客の女性たちが、ブラックボックス内で胸を触られたりキスをされたりといった痴漢行為に遭ったという事件。
てっきり「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」のことかと思ってびっくりしたが、全然別物だ。
アートなの?これ。一体何を目的とした展示なのか、ホームページを見ても判然としない。
「体験した内容を口外してはいけない」とか、最初に誓約書を書かされる理由もよくわからない。ちなみに、ホームページは何を狙ってんだか、断続的に暗くなる仕様になっていてイラっとする。
すごく好意的に開催の意図を汲んでやるとしたら、「インターネットに颯爽と登場した、個人か複数の人間か、はたまた機械かもわからない謎の主催者による、謎の個展。何が起こるかもわからない。誰にも話せない。それこそ、匿名性をまとったインターネット社会を体現しているとはいえないだろうか。“よくわからない”ということは不安を掻き立てもするが、同時に“楽しい”という感情も生む。そんな実体のないインターネットを、ブラックボックスというアートで表現しました!」ということなんじゃないだろうか。(テキトー)
そんな大層なもんでもなくて、「twitterで有名になったオレかっけー!見て見て!(でも名前も顔も公表しねーよ)」ってだけのものなのかもしれない。
いずれにせよ、この展示が「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」をパクって、に影響されているのは間違いないと思う。
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というのは、ドイツの哲学者が1988年に始めた、暗闇の空間で、聴覚や触覚など、視覚以外の感覚を使って体験するエンターテインメント形式のワークショップだ。世界39か国で展開されており、志村真介氏が日本法人を立ち上げて運営している、“由緒正しい“ワークショップだ。
公式ホームページはこちら↓
視覚障害者の気持ちになって体験できるということだけでなく、企業なんかがリーダーシップやグループの協調性を高めるために研修として利用したりしているそうだ。
「障害者の気持ちを理解しましょう」というだけでなく、それ以上のものを取り込んで経営として成り立たせていることに、とても興味がある。一度行ってみたいとずっと思っている。
成り立ちも中身も目的もぜんぜん違う「ブラックボックス展」と「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」。ダイアログ・イン・ザ・ダークが人々の中にあるあらゆる境界を取り除こうという理念があるのに対して、ブラックボックス展は「選ばれた人のみが体験できる…」と謳っている。パクってるくせに図々しい。
まったく違う両者のイベントだが、「暗闇の中で、行動する」という点だけは共通している。
でも、ダイアログ・イン・ザ・ダークでは今のところ痴漢問題は起きていないようだ。
ダイアログ・イン・ザ・ダークはグループを組むのが基本で、企業研修などでは貸し切りになったりする。行ったら誰でも入れるわけではなく、予約必須だ。
料金もダイアログ・イン・ザ・ダークが5000円で、ブラックボックス展が1000円だ。
安かろう悪かろうで変な奴が来ることも予測できる。
ブラックボックス展に行った若者の多くは、「twitterで情報が流れてきて面白そうだと思った」のが理由だそうだから、そういうことならダイアログ・イン・ザ・ダークに行った方が良いと思う。
ところで、この問題で一番気になったこと。
ブラックボックス展という暗闇の中で女性が痴漢にあったということは、視覚障害者の女性だって同じ問題を抱えているんじゃないか?ということ。
2012年にNHKでこの問題について取り上げていた。
3人に1人が性的被害!?
どこの団体が行った調査かわからなかったので、今度もう少し詳しく調べてみようと思う。
京都府の障害者支援課では、こんな報告書を公開していた。↓
http://www.pref.kyoto.jp/shogaishien/documents/1347449800400.pdf
(抜粋)
・上司と二人きりになると後ろから抱きつかれて胸を触ったり、下着に触られた事がある。(視覚障害)
・一般中学校の担任が女性だったから性にまつわる相談をしたのに、対応に難 聴学級の男性教諭が出てきた。保健室の先生にも話を真剣にきいてもらえなか った。(聴覚障害)
一つ一つ、読むだけで腸が煮えくり返る。許せない。本当に酷い。
上記の報告書には、視覚障害者だけでなく、肢体不自由や精神障害者の女性の体験も書かれていた。
我が子だって決して他人事ではない。
体が不自由な上に、知的障害もある我が子は、何かされてもそれを伝える術を持たない。怖くて、辛くて、恥ずかしくて、嫌だ、やめて!と思っても、それを相手に言うことも、私に伝えることもできないんじゃないか。
そう思うだけで、涙が出てくるくらいツライ。
こうした問題は以前から「もう少し大きくなったら対策しないとな」と思っていたので、色んなことを調べて話を聞いていこうと思う。
余談だが、私の子に障害があると知ったある知人が、「知的障害者の女性はレイプに遭いやすいから、気をつけてね」と伝えてきたことがある。
女の子を持った親なら誰でも心配するであろうことを、わざわざ「障害児だから」伝えて「あげた」んだろう。
彼女は「いいことをしている」と信じる自分自身の中に差別する心があることに、まだ気づいていない。
福祉関係の雑誌の怪
障害児向けの育児雑誌とか、まあそんな特殊なものはなくとも障害者向けの福祉系雑誌はないものかと探してみた。
すると、全然ない!
どうなってんの。
療育園に行けば置いてあるだろうか。探してみよう。
ところで、“福祉系雑誌”で探してみると、驚くほどに「老人介護」向けの雑誌が溢れている。
要介護の老人は、一体どれくらいの人数がいるのか、調べてみた。
によると、
要介護(要支援)認定者数は、607.7万人で、うち男性が187.5万人、女性が420.3万人となっている。
ちょっと待て。
先日「障害者の割合」というブログで書いたが、現在の日本の障害者数は、約700万人だ。
要介護老人:約600万人
障害者:約700万人
障害者の方が多いじゃないか!!
(要介護老人の中に含まれる障害者についてはとりあえず無視)
障害者の方が年齢層が幅広いから、雑誌を作るにしてもターゲットが絞りにくいんだろう。それに、小金を溜め込んでいる老人よりも、節制している障害者の方が財布の紐が堅いのかもしれない。
でも、もうちょっとなんかあってもいいよなぁ。
福祉系雑誌もそうだけど、障害者向けの商品(車椅子とか保護帽とか)のカタログなんかは医療や療育関係者には渡っているのに、障害者本人や家族の手元には来ないんだよね。
もっと気軽に当事者が見られるようにしてくれればいいのに。
気になったものは取り寄せてみよう。(あればだけど)
「可愛いがられる障害者」からの脱却
バニラ・エアが車椅子の障害者に対して、タラップを這って上がらせた、という事件。
朝日新聞が取り上げたことから大炎上となり、バニラ・エアは謝罪し、当該の奄美空港にはアシストストレッチャー(階段昇降機)が導入されることとなった。
とまあ、こんな事件だったんだけども、この這い上がった木島さんという方が、事前連絡をせず搭乗を要求していたということ、そして世界中を車椅子で旅しながらバリアフリーを訴えている人、ということが分かってから、状況は変わってきた。
「プロ障害者」「クレーマー」などと言われ、その行動が批判されている。
その件に対して、ハフィントンポストに寄稿したのが乙武さん。
乙武さんの人柄とかプライベートとかにはあまり興味がないけれども、この投稿に対しては、同意せざるを得ない。
「障害者差別解消法」のことを知っている人はどのくらいいるんだろうか。
批判されてすぐにアシストタラップを導入できるんだから、今までは「できるけど、(お金かかるし面倒くさいし)やらない」だけだった。そして「嫌なら(障害者は)乗るな」という搭乗拒否に繋がった。
明らかに障害者差別解消法に違反している。
木島さんの行動はそれに対する「抗議行動」であり、「効果的なパフォーマンス」だ。
航空会社のルールは破ったが、法律には違反していない。むしろ法律(障害者差別解消法)に違反していたのはバニラ・エアの方だ。
「きちんと手順を踏んで、抗議文を送るなり、裁判を起こすなり……」とコメントをしている人もいたが、そんなことでバニラ・エアはアシストタラップを導入しただろうか。
抗議文なんて「ご意見ありがとうございます。今後の参考にさせていただきます」って返信だけでおしまいだろうし、裁判をするには莫大な時間とお金を要する。
この木島さんは「階段を這って、それを朝日新聞にリークする」という行動だけで、結果的にアシストラップを導入させてしまった。
実に費用対効果が高い。
なぜ障害者は「ごめんなさい、でも、こうしてほしいな」とか「本当に申し訳ないけど、こうだったら嬉しいな」とか、下手下手に出なきゃならんのか。
「税金で食わせてもらってる」なんて話はお門違いだ。この国には障害者じゃなくても所得税を払っていない人はいっぱいいるし、よほどの大富豪でもない限り皆多少なり国や自治体のサービスを使っているんじゃないだろうか。それに、障害者だって消費税は支払っているし、障害者の世話をしている(例えば親とか)は普通に税金を納めている。
そもそも、憲法で人権は保障されているのだから、障害者が下に見られていいわけがない。
でも、多くの障害者は「申し訳ないな」と感じながら、または、理不尽だと分かっていても申し訳無さそうな顔をしながら生活している。
下手に出ないと、ちゃんとお世話をしてもらえなかったり、必要なサービスを受けることができないからだ。
「可愛い障害者」を演じなければ、誰も助けてくれない。
だから、自分よりも若い子から赤ちゃん口調で話されても、迷惑だって顔をされても、ニコニコしているしかない。そんなの悲しすぎる。
「オレは障害者様だぞ!どけどけ!死ね!」みたいな奴は言語道断だけど、ごく当たり前に、対等な立場として振る舞うことすら許されない現状がある。
だからこそ、この木島さんの行動は、画期的だったと思う。
賞賛されるような方法ではなかったかもしれないけれど、
「障害者だって、健常者と同じく頭を使って狡猾な手段に出ることもあるんだぜ」
というのを身をもって示してくれた。
狡猾とはいえ、誰も傷つけていないし、法律にも違反してない。
私には真似できないが、こういう人がいたっていいじゃない。それで世の中が良い方向に変わるなら。
騒ぎを起こすことはいずれは通用しなくなって、共感を得られなくなるかもしれない。
その時は、また別の方法を考えればいい。マーケティングってそういうことだろう。
鬼の首を取ったように「これだから障害者様は」とか「クレーマーなんて死ねばいい」とここぞとばかりに罵詈雑言を浴びせている人は、親を車椅子に殺されて、アシストタラップに自分の名誉をズタズタにされた経験でもあるんだろうか。
それにしてもバニラ・エアはホームページでしれっと
「ご利用ガイド お手伝いが必要なお客様」
というページで「奄美大島線はアシストストレッチャーあるから、事前に連絡してね」と書くだけで、この件についてinformationにも何も記載していなかった。
なんというか、そういう会社なんだな、と思った。